私を以前から気にかけてくださり、時折アドバイスをくださる社長さんから言われた一言がショックでした。
「君はプライドが高いんだよ」
私自身は謙遜に、腰を低くして生きているつもりでしたのでまったく逆のことを言われました。
尊敬する人生の大先輩とはいえ、ちょっとそれはひどくないかと思いカチンときて
「どこをどう見てプライドが高いっておっしゃられるんですか?」
と語気を強めて聞き返しました。
するとその社長さんは
「君は自信がないって相談にきたじゃない?自信がない人は何も誇るものがないからプライドくらい高くないとやっていられないんだよ」
と応えました。さらに続けて
「そうやって向きになるところを見ると、どうも当たったみたいだね」
とも言われました。
たしかに、プライドが高いことを指摘されてカチンとくる人は謙遜ではありません。
謙遜であれば尊敬する先輩がおっしゃられることに対してもっと素直に対応できるのです。
怒りっぽいということは、それだけ、カチンとくるポイントがあるということです。
自分自身の存在について自信があればなんと言われようと気にならないはずです。
しかし、自分自身の存在に自信がないと、つねに震えているわけです。
ミスを指摘されるんじゃないか
何かを忘れているんじゃないか
また、ダメだしされるんじゃないか
自分の存在を脅かすような言葉がけが飛んでくることを常に警戒しています。
そしてこの警戒しているところにプライドという防壁をつくって何とか耐えしのいでいるのです。
つまり、自分の自信のなさをごまかす手段がプライドなのです。怒りっぽさとプライドの高さは比例するのです。
これは、ほとんど無意識にやっています。それは自分を守るためなのですが、
守ろうとすればするほど、緊張感が高まるのでプライドを多角しないといけないのです。
プライドは別の見方をすれば見栄とか背伸びともとれます。
ときおり背伸びするのは良いですが、ずっと背伸びしっぱなしだと疲れてしまいます。。
それと同じでプライドも保ち続けるのはかなり厳しいものになります。
強く、有能で、自信に満ちた自分を「演じ」続けないといけないわけです。
それは本来の自分とは異なるので、疲れるし、ストレスになる。
さらにいうなれば、ほんらいの自分をさらけ出せないために、「誰も自分のことを分かってくれない」というコンプレックスに陥ります。
そうすると、酒、薬、ギャンブル、キャバクラ、ホストクラブ、最近はネットゲームなんかの依存症になるわけです。自分をさらけ出すためにお金をかけないといけなくなってしまうのです。
プライドは高いというのは健全な精神状態ではありません。これを続けると心を病みます。
そうなる前に、自分の本音、ありのままの自分を大切にするということを心がける必要があります。